歌丸さんの死

私は二十代半ばだ。
ネット社会の今、歌丸さんが亡くなったことはテレビだけでなくネットニュースやLINEニュースでも取り上げられた。私が歌丸さんの訃報を知ったのはメールニュースの通知だった。
「ついに亡くなってしまった」
はじめに思ったのはそれだった。
そういうネタのお笑いをしていたから、ではなくここ数年入院したなどのニュースをよく見ていたからだ。ついに、亡くなってしまった。

笑点歌丸さんの思い出を書いておこうと思う。
思い出といってもテレビの前の自分の話になる。歌丸さんを見かけたとか観に行ったとかの話ではないです。

私の周りの同世代の笑点歌丸さんの訃報の認識は「亡くなっちゃったね」「寂しいね」などと世間話の枠組みで収まる程度である。そうでない人もいると思う。
別に世間話でもいいとは思う。訃報が全国で世間話になるほど偉大な人はあまりいない。
歌丸さんのような年代の方の訃報は二十代には言っては悪いが刺さらない。しかし、歌丸さんは話題になり、若い世代がtwitterで呟いている人も多い。すごいことだと思う。

私は両親が笑点を好きで物心つく前から毎週日曜日の夕方5時30分、笑点がテレビで流れていた。
なんとなくある記憶でははじめは「早く6時からのまるちゃん、サザエさんの時間にならないかなー」とただ思うだけだった。けどそんな興味薄の時に既に木久蔵はおバカ、小遊三はどろぼうと各々のキャラクターを理解していった。
小学生ではいつの間にか自分からチャンネルを日テレに変えていた。
小学生までは出掛けていても夕方には帰路についていたし、帰りの車の中か家で毎週見ていたと思う。両親が見ていたから気がついたら見ていたしそれが当たり前になっていた。こむずかしいニュースを見られるより笑点ついてた方がいい!と感じていたことを覚えている。


段々、お笑いが分かってくる。
ただ面白いことを言うのではなく場の空気を含めてがお笑いなのだと。
みんな変な暴走して座布団いっぱい取られたりするけど真面目にやらなきゃ10枚いかないのに・・・と思っていた。
今考えればそんなん、真面目にやってたら全員が全員面白い塊なんだから毎週10枚いくわ!!て感じなんですが。

私は根っからの文系ですがお笑いで国語が得意になっていったのではないかと今では思う。
笑点笑っていいとも!トリビア笑いの金メダルバク天エンタの神様。黄金伝説・サタスマ・さんまのからくりTV
読解力は周りと比べて高かった。どうして自分にはお笑いのセンスはないのかが不思議なくらい読解力はあった。発信力がはないのが悲しいところであるが、話の流れからこう動いた方が面白いということをいつの間にか覚えていた
ある年、こん平さんからたい平さんにバトンタッチした。
これもリアルタイムで見ていた。その頃からよく覚えている。
お笑いが好きと自覚し終わっているし、毎週安定した面白さを提供してくれる。小さい頃にはあった難しすぎて分からないネタがなくなったからかもしれない。
調べたらそれは2006年のことらしく、私は中学にあがるかあがらないかのあたりだ。
普通、あんな笑点なんてお笑いのバケモノたちのいる番組にレギュラーとして入ることになったら緊張でガンガン手をあげられなそうである。
けどたい平さんはすぐに自分のスタイルを確立していっていたことを覚えている。最初は座布団の山田くんいじり。毎週あった。今は少なくなったけど、誰かとの絡みがある笑いは重要だ。

昇太さんが入ってからブラック団が結成され昇太さん含め面白さを確立していったのを覚えている。その時はじめて、楽太郎さんが新しく入ったふたりのためにブラック団作ったんだろうなと思い至ったのも覚えている。
楽太郎さんは円楽さんだが、小学生当時は楽太郎さんだったのでどこから円楽さんと呼ぶべきか悩んだのでここで変えようと思う。

円楽さんの歌丸さんへのコメントや死亡ネタは有名である。
昔からよくあったし、司会になってから毎週のように出る鉄板ネタになったと思う。お互いの関係があるから出来るし、それが歌丸さんから許可してくれたと知りとても大きい人だと思った。
円楽さんと歌丸さんについてはたくさん話している人がいると思う。
昨日の笑点も、最後は円楽さんの「ジジイ!」で終わった。
お茶の間が求めていたのはこれだけど、その後涙ぐむ円楽さんに泣いてしまった。
円楽さんが歌丸さんのカバン持ちからの関係だったことは訃報後に知った。とても偉大な存在だったのだと改めて感じた。
いつかまた、歌丸さんネタで笑わせてくれる日を待っています。

ちなみに。
その昨日の笑点で話題になった人がもう一人いる。
最後の円楽さんも終わり、客席が拍手・舞台ではみんなお辞儀をしている中で一人、両手を上げて皆に手を振っていた人物。
木久扇さんだ。(こちらもこのタイミングで呼び方変えます)

笑顔で皆に手を振っている。
まるでいつもと変わらない様に。けど、絶対ではないけど、木久扇さんも皆と同じようにお辞儀で終わることも多い。
それなのに。
歌丸さんのためか自分のためか客席のためか。木久扇さんなりの何かの思いやりだったんだろうと思うと今度こそ本当に泣いてしまった。

私は、小学生の頃から笑点で木久扇さんがいちばん好きだ。
おバカキャラで理解できるネタばかりだったからかもしれない。子どもにはうけるはずだ。
歌丸さんが司会にいくまでは歌丸さんは木久扇さんの隣だった。客席からみて右側にいる。司会をする前は木久扇さんとの絡みが一番多かった覚えがある。
木久扇さん好きだからもあるのかもしれないが。
ダジャレを言おうとする木久扇さんに良い間で「◎◎(オチ)って言うんだろ」と先に言ってしまう歌丸さんの絡みがよくあった。そこまでがセットとして確立していたから客席もダジャレがくると歌丸さん入ってこいこい!と待っていた部分がある。

そんなだからいきなり熱唱したり宇宙人のモノマネしたり暴走する木久扇さんの保護者のような位置づけにもされていた印象がある。
違ったかもしれないが、小学生の私にはそう見えていた。
だから歌丸さんが本当好きだった。おもしろいし。
司会になってからその絡みはめっきり減ってしまった。物理的に距離が離れてしまったのと、司会がオチを言ってしまうのはあんまりよろしくないんだろう。
だからたまーに言ってくれた時は嬉しかったりした。
客席もけっこう湧いた。


だから、笑顔で手を振る木久扇さんに泣いてしまった。
私の大好きなふたりの関係性というか、木久扇さんなりの歌丸さんへのなにかが見れた気がした。
正直そのオチを言ってしまう絡みばかりが目立ち、他のものを忘れている気もする。

他にも歌丸さんと木久扇さんのエピソードなどがあれば知りたい。
笑点中でもその他のところでのものでも。

こうして思い出したり、話を聞いたり笑うことが笑わされる側の歌丸さんへの送り方だと感じている。
今後もこの「波」が落ち着いたとしても、笑点を見て、思い出含め思い出し、笑いたいと思う。